秋の宮島だと思っていた宮島は、安芸だったことに宮島についてから気づきましたが、
それ以上にやたら目につくのが「しゃもじ」。
千畳閣にも大きなしゃもじが飾ってあった。
このしゃもじの由来を千畳閣の係の人に聞いてみると、
「ご飯をメシ取る」から転じて「敵を召し捕る」という縁起物になったそうです。
別説では、以下もあるようです。
宮島しゃもじ[杓子の家]
http://www.shakushi.jp/history.html
十八世紀末、修行僧「誓真」が、島民救済の為、厳島神社の参拝客のお土産に、夢に現れた弁才天の手にされた琵琶の形を基に杓子を試作し、島民に教えました。
明治二十年代に、全国に鉄道、海運網が拡がり、広島の発展(明治二十七年、国会も開催)と共に、来島者が増加し、土産に、「宮島」の焼印を押した杓子を持ち帰りました。さらに、問屋を経由して全国に出荷され、当時は未だプラスチックはない時代、宮島杓子、たわしは、宮島杓子(しゃもじ)の由来家庭用品業界の花形商品となり、「宮島」はもっとも有名な杓子の産地となり、さらに、杓子の呼び名の一つとなりました。
当時の活況を大隈公評して曰く、「是れ天下の富を抄い取るものなり」と。
まとめ
メモを取っていなかったので、詳細を覚えてないのが残念ですが、
千畳閣には豊臣秀吉の時代の建物で、そこにも祀られてるので明治よりも昔だったのか
明治の時代に改めて置き直したのか。今度行ったら聞き直してみたいところです。